記念すべき第1回は、レコフグループ代表・吉田允昭様をゲストにお招きし、日本とベトナムの現状や将来像、そのための具体的な施策等、多岐に渡った内容の対談となりました。

 

 
  

吉田允昭(よしだまさあき)
レコフグループ代表

1938年大阪府生まれ。
1960年大阪大学法学部卒業。
1973年山一證券において日本初のM&Aチームを創設し、日本におけるM&Aビジネスの基礎を創る。
1987年M&A専門会社、株式会社レコフを創業。
2008年株式会社レコフの代表を退任。退任後はレコフ、レコフデータを含むレコフグループの代表としてグループ全体の動向を監督する。
2009年「日本ベトナム経済フォーラム」設立に参画し、日越の包括的な関係発展に尽力している。

 

 

 

 

 

レロンソン

 対談を始めさせていただく前に、私事で恐縮ですが、私は留学生として日本で技術を勉強するうちに、日本の素晴らしさ、日本が世界第2位の経済大国となった理由を私なりに理解いたしました。国民全員が真っ直ぐにものづくり、サービスをコツコツとやり続けたからこそ、この国はここまで成長したのだと。この日本人の精神をベトナムに持ち帰ることでベトナムの発展に寄与できる。そのためには、志の高い数多くのベトナムの若者を日本に連れてきて、学ばせることが必要なのではないか。こうした想いが起業のきっかけとなりました。

 実は、そうした私の想いの最大の理解者が吉田代表でした。吉田代表は現在、日本とベトナムの発展に向けて尽力されていらっしゃいますが、ベトナムに興味を持たれたきっかけからお聞かせいただけますか。

 

吉田代表

 私はこの日本でとても自由に、70年の生涯を送らせてもらいました。証券会社に勤務していた頃に、日本的な風土の中で日本に合ったM&Aの手法を開発し、独立をしてレコフという会社を創ってからも、それをただ愚直にやってきました。2007年12月にレコフも創立20年という成人としての節目を迎えることができ、幸いにして、今井 光(現・株式会社レコフ代表取締役社長)という大変優秀な後継者を迎えることができました。それに伴って、昨年4月に経営の一線から退いたことで、これまで自由奔放にさせていただいたこの国に対してお返しをしたいと思いました。第2次世界大戦後の日本は、経済一筋に動いてきたがゆえに、どうしても他国の人の気持ち、感情を時には無視をしてきた面もあり、世界の国々から愛すべき国と思われていない可能性があります。したがって、これからの日本にとって一番のお返しは、この国に見合う「ベストフレンド」をつくることではないかと思ったのです。
 M&Aの世界でも、企業と企業が提携し、良い関係をつくるためには、お互いのカルチャーが同じでなければ上手くいきません。その中で、文化、歴史、国民性等、様々なことを鑑みて、ベトナムという国こそ最適だと、こう思ったわけです。

 

レロンソン 

 日本の「ベストフレンド」としてベトナムを思っていただき、ありがとうございます。私自身も、吉田様とお会いできたことに、本当に感謝いたします。

 

吉田様

 M&Aでいうと、瞬間の判断というものがあります。この人となら気が合うとか、この人とはあまり合わないとか。
 私はロンソンさんを通じてベトナムを見ました。ロンソンさんは、外国人が成功するには難しいといわれる日本で、ベトナム人として事業を立ち上げた。しかも10年の歳月が経過しています。これは只者ではない。長年M&Aをやってきた直感で確信しました。日本とベトナムはベストフレンドになれると。
 ただ、いかに直感で合うと思っても、相補完できるもの同士でなければベストの提携にはなりません。その相補完するものが、日本とベトナムにはあったのです。それは人口構成です。日本は少子高齢化が進んでおり、60歳以上が今後どんどん増えていきます。一方、ベトナムは、人口が約8600万人のうち、30歳以下が半分以上を占めている。ベトナムの平均年齢は26歳で、日本は40代半ば。となれば、ベトナムの若い人が日本に来るという意味で、日本は労働人口的に補完できます。
 ベトナムは不幸にしてベトナム戦争があったために、アジアの中でも工業化が遅れています。しかし現在、国を挙げて、良い工業国家になりたいという意識があります。一方日本は、工業国家として成熟しています。事業を継承できる人もどんどん少なくなってきている。そうすると、日本の技術をどんどんベトナムに移転することができるじゃないかと。しかも、担い手は若い人です。それによって、日本はベトナムの工業化という点を補完することができます。人口構成的にも工業化の成熟度的にも補完しあい、国の方針にも合致します。これらから、日越両国がベストフレンドになれる要素があることを確信しました。